遠征的自由帳

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【千秋楽】ミュージカル『スリルミー』2020年韓国版3/1 マチネ&ソワレ 

 

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とうとうスリルミーが終わってしまいました。心が倉庫と共に燃え尽きて観終わった翌日は空港でめそめそしたりなどしてました。気を強く待て

もう当分の間はYES24Stageが炎に包まれることも、一生一緒にいようねソングが高らかに歌われることもないんだなあと思うとまじで今日からどうして生きていけばいいかわかんないですね。禁じられた森のおたく全員、来週もYES24Stage燃やしたいよな???(放火犯の言葉)

 

 

とか言ってたら脚本家からにおわせがあったので

 

まだ詳細は何も出てないですが禁じられた森のおたく強く生きましょうね 私もそうします

 

 

そんな感じで頭と情緒がふわふわしてますが今回も感想をつらつらと書いていきたいと思います。特に曲順とかは気にせず総括みたいな感じになりそうです。

 

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3/1『スリルミー』マチネ

ジュンモリチャードとヒョンジンレイ

 

何度でもこの話している気がしますが、友人同士がゆっくりと恋人同士に変わっていったようなペアだったと思います。なんか全体的に切ない。投げつけられたタバコを「はああっっ」みたいな声出して蹲み込んで一生懸命拾うヒョンジンレイは確かにリチャードに強く恋焦がれてた…。Thrill meの日本語訳リチャード「明日は早いんだ」の後の表情がこの回はすごく切なそうに見えて。嬉しそうではあったけど、どちらかというと要求を呑んでくれたという事実にホッとしていたような印象を受けました。勝ち誇ったような笑みを浮かべていたのが懐かしいですね あとはお互いがお互いの感覚を共有することはできるけど、そこにはズレがあるのが側から見てもはっきりわかってしまう。Life plus 99 yearsのあたりはジュンモリチャードもヒョンジンレイもまあけたけた笑ってるけど、その笑いの意味合いが全然違うから何も共有はできてないんだよね。“これからずっと一緒だよ、という笑い”と“お前が勝ったことは認めるけど離れるぞ、という笑い”は明らかに違う。それでもいいリチャードが手に入ったのだから、と笑うのがジュンモリチャードが相手の時のヒョンジンレイなのかなと思っています。切なくなったり楽しくなったり悲しくなったり苦しくなったり、人間の感情なんぞ一定のものではないにしても、あんなにも揺れ動いたら何もかもが嫌になってしまいそうなのに、それでも全てリチャードに関わる感情だったから全部よかったんだろうな。ひたすらに純愛でした。

 

 

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3/1『スリルミー』ソワレ

ヘジュンリチャードとヒョンジンレイ

 

5分に1回くらい「やばい無理ラストだ嫌だ」て気持ちに襲われながら観ました。千秋楽に平穏な精神状態を保てるおたくいたらアドバイスください待ってます

公園のシーンでまさかのヘジュンリチャードによる軽いビンタが観られるとは1mmも考えておらず、手が頰に触れた瞬間頭がほわほわしました。リチャードが去った後タバコのケースを軽くビンタされた側の頬に当てるヒョンジンレイ…。あとはLife plus 99 yearsのリチャード「君は孤独だひとり」レイ「いや、離れられない」の「いや(韓国語は아니)」がすごく苦しそうだった。それまではにこにことしているのに、その瞬間だけほんの少し苦しそうになって もしかすると単に力んだからそう聞こえただけかもしれないけども それでも苦しげに聞こえたので私はそう捉えました。この歌い方を聴いてヒョンジンレイは少なからずヘジュンリチャードを自分と共にいさせようと支配し、そうすることを強要することに対し100%肯定的ではなかったのかもしれない。それでも相手を支配したことに関しての反省は一切してなさそうな気がします 複雑 ヘジュンリチャードと組むときのヒョンジンレイは観るたびにリチャードのへの気持ちの重さというか深さが違いました。ジュンモリチャードに対してはだいたいこのくらいというのがなんとなくあるのに、ヘジュンリチャードに対しては重たくて苦しんでいる日もあれば余裕の大勝利みたいな顔でけたけた笑ってる日もあって…キムヒョンジンという俳優ははどうしてこんなにもアプローチを変えるんだ…おかげで最後まで本当に苦しくて楽しかった…こんなにも考えさせてくれる演技をし続けるというのはそれはもう本当に素晴らしいことではあるけれど、私の感情を揺さぶり続け考察する頭を休ませなかった責任は重いぞ。99年付いて行かせてください(ここで懇願すな)

 

 

 

数時間前に日本に帰ってきて、ゆったり思い出しながら家でこのブログを書いてますがまだ頭がぽわぽわしてます。御察しの通り、私はネイサン・レオポルド(レイ)の捻じ曲がっているけど本人はまっすぐだと信じきっている愛情が大好きで、それぞれのレイに感情移入して共感したり外側から見て「ははん狂ってるなあ」とにまにましたりするのが楽しくて仕方なかった。捻じ曲がった愛を何度か投げつけた経験はあるけど投げられた経験はないから残念ながらリチャードに感情移入はできないけど、だからこそそれぞれのレイが向ける愛をそれぞれのリチャードがどう受け止めるのかすごく興味深くかった。そんな日々がこんなにも長く、CDや映像ではなくすぐ目の前(箱が小さいから敢えてこの表現を使う)で観られたのが本当に幸せでした。この感覚を何かに例えたいけど、この幸せだという感覚を例えることができる事柄がこの世の中に存在するのが寂しいのでやめておきます。ただただ幸せ

  

またあの白い森に行ける日がきますように…

 

 

 

Auf Wiedersehen.