定期的にミュージカル『bare-ベア』を思い出しては夜泣きが止まらないので自分の中で少しでも整理し解決するためにブログエディタを開きました。現在の脳内のミュージカルについて考えている容量がが100だとするとスリミ60、フランケン25、風月主10、Bare5くらいです。スリミはまあずっと考えてるし、フランケンは曲が好きなので作業してる時とかスリミと交互に聞き流してます。風月主は克服*1したけどまだ生放送のやつしか見れません。なので生放送で歌わなかった曲とかは聴けない
観劇した2月8日以降bareに関するを記事書かなかったのは特定の曲を聴くと5秒もかからず泣くからです。単純な理由。触れてこなかったくせに急に何があったんだよと思われそうなので一応書いておきます。でもYou &Iは鬱にならないから比較の話は書きかけた。やめちゃったけど。現状としては深夜の2時くらいに何を思ったのかBareやAbsolutionやNo Voiceを流してしまい泣き喚いて寝られなくなったりします。定期的に泣く理由の大半がジェイソンが死ぬことに対する恐怖なのでよくジェイソンというキャラクターが好きなのかと思われますが、別にジェイソンのことは好きではない。むしろクソオスだなという印象が拭えないのでどちらかというと嫌いです。避妊せずヤって女を妊娠させておいて「どうしたらいい?」はあまりにも勝手すぎるしそれで周りが助けてくれるとでも?それでもピーターを残して死んだことが許せない。人として最低なことはしたけれど、それでも死を選ぶ以外何か他の道があったはずなのにそれを見つけられなかったことに対する後悔を勝手に感じて勝手に落ち込んで泣いて眠れなくなります。ジェイソンが死んだことを2月に受け入れたと思っていたのに無理だった
この症状については真剣に悩んでいるので最近観劇友達に「未だに2月に観たミュージカルのラストが受け入れられなくて定期的に思い出しては号泣するのやめたい。架空の話だってわかってるしその時は受け入れられたと思ってたけど、音楽をきくたびに押し殺してた受け入れられないという感情が呼び起こされて苦しくなる。受け入れられない話を見たときにどう折り合いをつけたか教えてほしい」といった長文ラインを送りつけたところ「二次創作みたいな…ハピエンifや転生を考えるか思い切って忘れるのがいいと思う」というようなごもっともな返信がきました。真剣に考えてくれて本当にありがとう… ハピエンifは考え始めてすぐに「だけど結局死んじゃったじゃん!!!!」という思いが強すぎて失敗した。
主観なので観たことがある方は怒らないでほしいのですが、ミュージカル『風月主』でヨルとサダムが死ぬことに関しては悲しいけどその悲しいはすぐに消えてしまう感情だと思います。私はミュージカルを観たことがないのでどこまで描かれれてるかわかりませんがコミカライズを読む限り最後は天国で結ばれてるしまあハピエンなのでしょう。ハピエンですね 結ばれるので。だけどbareは違う。ピーターはこのまま生き続けるので地獄です。天国という同じ場所にいるならその中で一緒になれるけど、天国と俗世間であれば死んだほうがゴーストになって降りてくるか生きてる方が死ぬかしか一緒にいる方法はない。
少し脱線しますがエンディングの卒業式のシーンでジェイソンが後ろからピーターのこと抱きしめるじゃないですか。あれってピーターの精神世界の話なのかジェイソンがいつもそばにいるよってことを丁寧に可視化してくれたのかどっちなんでしょうか。こういう話をすると大抵「そういうのは観劇した人の解釈によって変わってくるので…」とか言われるけど制作側に何か意図があるなら自分の意見とは切り離して考えるから、頼むから教えてくれよと思ってしまう。わがままなので。こうやって製作のこと唯一神だと思っている人間はそういうことが知りたいです。個人的には後者かなと思ってます。ただ製作に前者だと言われたらそれはそれで受け入れます。つまり気にはなってるけど正直どちらでもいいです。
ここまで書いてようやく本題に移りますが、自分の心を整理する方法として韓国語版bareの歌詞を読むことをはじめました。そもそも日本語版の歌詞はほとんど覚えていない状態だし、英語版は読んだけれど何も解決できなかったので韓国版の歌詞に頼ることにしました。自分が納得できたかどうかという問題なので決して英語版を否定しているわけではないです。そうしていくうちに観終わってすぐのブログに書いた「ピーターはジェイソンの後を追う」という解釈はだんだん薄れてはきました。韓国版bareの歌詞の歌詞はすごいですね
>あとこれはもう本編の内容とは関係がない話だけどジェイソンが亡くなった後ピーターは後追いしてると思ってます。「君は僕の全て」とまで伝えるほど心の底から想ってた人が死んでしまったピーターは1人では生きていけない気がする。私がピーターなら卒業式終わったあと後追いします。
(2月8日のブログ本文より)
韓国版bareの「Bare」において
君と僕は永遠に
心臓(1番大切なところ)の中にいる君
という歌詞があり、もしジェイソンがこの世から消えてしまった後でもこの考え方を抱き続けているのであれば、後追いする可能性は低いだろうなと思いました。まあ私がピーターなら卒業式後に毒飲んで後追いしますが。
そして歌詞を読み進めるうちにだんだんbareというタイトル自体これでいいのかという気持ちになってきます。曝け出したかどうかは結末に関わってなくないですか?全く関係ないとは言い切れないけど、曝け出すこと(bare)=ジェイソンにとっての死だから神父様に自分たちのことを曝け出したことが自殺する原因になってしまったと思っていたのですがどうやらそうでもない
ピーター:
もう僕ら2人別れよう
忘れないよ 僕たちの思い出を
というピーターに対し、ジェイソンは
ジェイソン:
覚えていて自分のこと 永遠に
と言っていることから自分が愛しているのに一緒にいられないことが死に繋がったのではないかと思えてきます。他には
ジェイソン:
お前が問題でありお前が答えだった
ピーター:
僕たち答えを見つけられないから
このような明らかなすれ違いが詰め込まれています
ジェイソンが曝け出したこと(bare)は結局何の解決にもなっていないし、そうなるとますますタイトルの意味もわからないし、ジェイソンが自殺したこともわからなくなってくる。だけどもしピーターが「愛してるけど別れる」であるのに対し、ジェイソンが「愛してるのに別れるのなら死ぬ」であるならこんなに納得できる結末はないと思います。
あとは一緒に歌う部分
自由になりたい
はジェイソンは自殺すること、ピーターは隠すことなく生きることであり
愛してる さいごまで
はジェイソンは「最期まで」ピーターは「最後まで」
であるならますますすれ違いについての説明はつくのではないでしょうか
解決になっているかというと点では微妙ですが、以前ほど考えていても喚かなくなったし何より細かい部分の歌詞が読めるようになったので少しはマシになってきたと思います。また気づきがあれば書きます。
Role of a Lifetime
全てが演劇 他人のための
舞台の上で彼は素晴らしい俳優
危険な日常 完璧に演技をこなす
観客たちの歓声 期待して
華やかな主人公である彼の人生はファンタジー
本能じゃなくて理性で生きてる
舞台から降りて仮面を脱ぐと
僕だけが知っている彼の顔
おお主よ 進むべき道を教えてください
偽りで生きる必要のある人生
それに耐える方法
恐怖の中で いつも寂しい夜を耐えて
何もかも夢みたいに
彼といると完全になる僕
その姿にもっと混乱する
僕は答えを求めてさらに深く君の眼の中に落ちる
その瞬間混乱はすべて消える
完璧な普通の男 彼がやってきた演技
真実は隠したまま
君は求めてるじゃん こういうのを
きれいな花嫁と子どもたち 居心地のよいレンガ小屋に
誰が見ても羨ましいよね
この中でジェイソン 僕は何の役をしたらいいのかな
主人公である君のそばで君を輝かせてあげようか
それともすれ違うのだろうか
僕と愛しあっていても全て共にすることを望まない君
この演劇が終わったら何が起きるのかな
僕はそばにいようか
何もかも僕は怖い
こうやって過ぎてみると君もいつかはわかるかな
今日も僕たちは演じる
秘密の約束だよ
人生という名の芝居
本当の思いは決して見せない
演じて騙している
彼は完璧 揺るがないわかっている
曝け出すことの怖さ
満ち足りているそれが怖い
2人でいれば迷わない
その目を見て何かを掴もうとしつつ
また何か捨てようとしてる
普通の男を演じ続けて 真実は語らない
でもいつかは変わる 壁は破られる
それがあるべき姿 それが望みだろう
僕は君のために何をすればいい
地獄へ道連れか 救い出せるのか
見つけなければ 歌い続けよう
踊り続けよう 落ちてしまわないよう
音が消えてゆけば 沈黙だけが
この想いとともに 残されるだけ
だからこのまま踊り続けて演じ続けてゆく
何度でも 人生を
日本版のピーターの方がどことなく強引な気がする